加藤 英子(かとう ひでこ)/2021年度YNUプラウド卒業生

学生歌「みはるかす」作詞者 加藤(旧姓:鶴若)英子氏

経歴

加藤 英子
1936年3月神奈川県横須賀市汐入町に生まれる
1955年神奈川県立横須賀大津高等学校卒業
1955年横浜国立大学学芸学部入学
1955年学生歌「みはるかす」作詞
1959年横浜国立大学学芸学部教育科卒業
1959年藤沢市立鵠洋小学校教諭
1962年横須賀市立大楠中学校教諭
1965年横須賀市立馬堀中学校教諭
1976年横須賀市立大津中学校教諭
1986年横須賀市立鴨居中学校教諭
2008年9月8日    学生歌として現在に至るまで在校生・卒業生に親しまれていることに対して、大学として謝意を表すため飯田学長から「感謝状」が授与された。
みはるかす

学生歌「みはるかす」を作詞した頃

 昭和30年(1955年)、横浜本牧の広い土地は米軍に接収されており、芝生の緑美しい住宅が建ち並んでいました。その手前の丘の上に立野の旧校舎はありました。市電の大和町停留所からしばらく登った処でした。横浜国立大学の新入生初年度の教養課程を三学部(経済・工学・学芸)の学生が一緒に学ぶ処でした。二年次からは夫々の学部で夫々の課程を学びます。
 当時の学制で二期校、旧帝大系他の一期校ではない国立大学です。何とも言えない挫折感を抱える者達もいる一方、ここから何か新しい道へと想いをめぐらす者もいる。何かもやもやとした大学生活の始まりでした。
 きちんとした日取りは忘れましたが、鬱屈した思いを何とかしたいと、学生自治会の、大学当局も入った形で「学風創造運動」と名付ける様々な動きが始まりました。廊下にはたくさんのポスター、穏やかな檄のようなものもありました。講演会、サークル活動への呼びかけ、フォークダンスパーティの開催等、学部を越えて仲間友達の話す場を広げようというものでした。その中の一つに学生歌募集があったのです。
 期日も終わりに近い梅雨のはしりのような曇った夕暮れに、全く体をなさない形で、私は自分のその頃の想い心の内の詞を、箱に入れました。ノートの一片を封筒にも入れず、しかしひどく自分がほっとした瞬間だったのを覚えています。
 後日選者であられた国語科の先生が、ものを知らないと仰言ったと友達から聞き、本当に恥ずかしいと思ったのも忘れられない事です。
 入選歌が廊下に貼り出されました。
 一席は確か国語科の方の歌で、格調高くことばの調べも美しい三連までの素晴らしいものでした。短い私の歌は端っこに佳作として並んでいました。それでも賞金を頂きました。1,000円であったか1,500円であったか、クラブのお仲間とのビール代になりました。
 そして歌詞に付ける曲の募集がなされました。歌詞一席の作品に曲がつくものとばかり思って居りました。
 翌31年(1956年)の秋、私の歌を選んで曲を作って下さった方があったのです。当の大根田さんからのご連絡で知りました。お会いしてお話を伺ったのは秋の鎌倉でした。若者が良い世の中を作って行けると真剣に思っている、勉強しなくてはと歌詞に連ねただけでした。
 佳作だった私の詞を学生歌にして頂けたのは、工学部にいらした大根田さんが素晴らしい曲をつけてくださったからです。
 若い思いを言葉に込めた。在るがまま唯真っ直ぐにその時の想いを綴った。それが調べを作る人の目にとまった。美しい曲に編まれた。調べは多くの若い想いをふくらませた。のでしたら、何と嬉しいことでしょう。大根田さんの作られた曲に心から感謝致します。

加藤秀子

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