上野 豊(うえの ゆたか)/2014年度YNUプラウド卒業生

経歴

上野 豊
上野興産株式会社提供
1915年  11月9日 神奈川県横浜市に出生
1937年横浜高等商業学校(現横浜国立大学経済学部)卒業
合名会社上野運輸商会(現上野トランステック株式会社)入社
1966年合名会社上野運輸商会代表社員社長
1975年合名会社上野運輸商会を株式会社上野運輸商会へ組織変更
同社代表取締役社長
国際ロータリー第359地区ガバナー
1976年神奈川県公安委員会委員(1991年7月退任)
1979年神奈川県公安委員会委員長(1980年7月退任)(以降、1983年~1984年、1989年~1990年の2期委員長に就任)
エリザベス女王から大英勲章(OBE)を受章
横浜商工会議所会頭(1994年10月退任)現名誉会頭
日本商工会議所副会頭(1994年10月退任)
1983年全国内航タンカー海運組合会長(1997年6月退任)現相談役
1985年横浜エフエム放送株式会社代表取締役社長
1986年勲二等旭日重光章受章
1987年株式会社上野運輸商会代表取締役会長
1992年日本ボーイスカウト神奈川連盟、連盟長(2000年退任)
横浜エフエム放送株式会社代表取締役会長(2014年退任)
1993年カリフォルニア・ルテラン大学より名誉人文学博士号授与
1994年横浜文化賞受章
1995年神奈川文化賞受章
1998年上野トランステック株式会社代表取締役会長就任
2008年上野トランステック株式会社名誉会長就任
2016年3月6日 逝去 (享年100歳)

著作

  • 多くを生きる/上野 豊(日経BP企画 2002)

上野グループ代表として

  • 1948年 シェル石油㈱(現昭和シェル石油㈱)が国内での業務再開とともにバンカーサプライ業務を受注した。
  • 1957年 産業の振興による石油需要が増大する中、大量輸送を可能とする大型の内航タンカーの就航が必要となり、当時としては国内最大の第一黒貝丸(4,000kl積)を建造し重油輸送に従事させた。
  • 1960年 石油化学産業が急速に発展する中、ケミカル製品の海上輸送においては、高度な品質管理が求められ、その純度を保ち品質管理の徹底を図るため日本最初のステンレスタンカー、ケミカル専用船の第一日乃出丸を建造した。当時、造船所においてステンレス鋼の溶接技術の経験がほとんどないため、上野と造船所、ステンレス鋼メーカーの三者の協同研究により溶接技術を開発した。
  • 1971年 海上での船舶事故防止や海上流出油の適切な防除作業により海洋環境の保全を図る目的で伊勢湾防災㈱を設立し、現在まで伊勢湾内での船舶エスコート業務において、無事故を継続している。
  • 1979年 永きに亘るシェル石油㈱との輸送業務を通じて日英関係の発展に寄与したことが評価され、英国女王より大英勲章が授与された。
  • 1986年 内航運輸業界ならびに横浜商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭等多方面に亘る貢献により勲二等旭日重光章を受章した。

横浜商工会議所会頭として

  • 1979年 横浜商工会議所第20代会頭に就任するとともに、日本商工会議所副会頭に就任した。横浜商工会議所会頭職は、1994年迄の5期15年に亘り会頭職を務め、地域経済や文化事業の発展に貢献するとともに、神奈川県内の観光事業や環境保全活動にも積極的に取り組んだ。
  • 1983年 みなとみらい21計画を推進し、1989年に横浜博覧会を開催させるとともに、現在のみなとみらい地区の発展に寄与した。
  • 1984年 海洋国日本の象徴であり、国際的な港湾都市である横浜へ練習帆船日本丸の誘致を実現した。
  • 1989年 港湾都市としてだけでなく国際文化都市として横浜の魅力や位置付けを国内外に広めるため横浜美術館建設に尽力し、実現した。

業界団体での貢献

  • 1965年 日本内航海運組合総連合会の監事に就任し、1983年からは同会の副会長、政策委員会委員を務め、重要施策の樹立、審議に参画し同会の運営推進に多大な貢献をした。
  • 1983年 全国内航タンカー海運組合会長に就任し、過剰船腹対策や船員不足の深刻化に伴い、環境の改善と労働負担軽減に取り組んだ。

図書館内での過去の展示物

展示物

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