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大学図書館今昔

平田喜信

 図書(書籍)は大学生にとって命の糧のようなものであると言ったら言い過ぎであろうか。自分自身の学生生活を振り返ってみても、当時のさまざまな書籍との出会いが、その後の私の生き方を規定し、私の幼い研究活動を支える重要な基盤をなしてくれたことは疑いのないところである。研究に従事しはじめたころ、私は平安中期の日本文学に対象を絞り、気の向くままに各地の図書館や文庫に赴いて、写本の形で保存されている文献を調査する旅を繰り返していたが、国会図書館や静嘉堂文庫、陽明文庫などでそれまで紹介されたこともない伝本に巡り合えた時の感激を、今でも昨日のことのように思い出すことができる。当時、静謐なたたずまいの中で書籍を広げ、自分なりの思考に耽ける瞬間ほどすばらしい時間はないとさえ思ったものだった。

 この度、図書館長の任に就くにあたって、私の脳裡に真っ先に浮かんだのは、そうした書籍にかこまれた幸福な日々のことであった。しかし、就任して三ヶ月以上が過ぎようとしている今も、私にそのような至福の時の訪れはなく、慣れない業務にただ右往左往する毎日があるばかりである。実際、正式に図書館の住人となってみると、三十年以上も前の私の図書館に対する認識と現在の大学図書館の姿はあまりにかけ離れ過ぎていて、なかなか現実の場に自らを適応させることができないでいるというのが本当のところである。

 変化の最たるものは、図書館の諸手続の機械化が進んだこと。入退館・カードの使用・書籍の返却・複写・検索などの方法のすべてが今の私には目新しく新鮮に映る。以前なら、白衣の館員が一々対応し、込み合った時など列をなしてそれぞれの順番を待ったものであるが、こうしたむだな時間は省かれ、学生諸君がよそ行きの気分ではなく、ごく気軽に入退館している様子を見ていると、大学図書館はまさにこうあるべきものとの思いを一入深くする。(もっとも、高い天井のもと、おごそかとしかいいようのない重厚な館内で、注文の書物がカウンターに運び出されるのを息をひそめて待ち受けたあの緊張の時間にも、一種の郷愁を感じないわけではないのだが・・・)当時は、ソファーに横になって昼寝するなどという行為が許されるはずもなかった。

 変化と言えば、このところ図書館の電子化を巡る動きが急なことにも驚嘆させられる。4月には、わが横浜国大図書館にも、総合情報処理センターの御協力もあって、端末機(27台)を用いたパソコン・コーナーが開設されたが、その後利用者が引きも切らない盛況を眺めていると、図書館そのもののイメージも随分様変わりしたものだと感じないわけにはいかない。現に私のような機械機器にうとい者でも、45万首の和歌を収載し、たちどころに検索が可能な国歌大観のCD−ROMは必需品となって手放せないし、手持ちのパソコンのハードディスクには常に群書類従(18巻)や百科事典類が呼び出せるように蓄えられている。学術情報センターからの情報検索も欠かせないものの一つ。今となっては、このようなソフトや情報ネットの助けを得ないでは、私自身の研究さえ成り立たないと言った状況が現出しているのである。かつて、写本との邂逅を願って訪書を試みた私ではあるが、インターネット上に発信されている、京都大学蔵の国宝『鈴鹿本今昔物語集』を居ながらにしてパソコン上の画面に呼び出し、画像の形で原本さながらの情報を得ることのできるようになった現在の状況を、つくづくと良い時代に巡り合わせたものだと痛感している。数十年前の研究者のいったい誰がこうした時代の到来を予想したことであろうか。今や、学術情報はひたすら秘匿されるものとしてではなく、公開され活用されるべきものとして、私たちの机上にまで及ぼうとしているのである。

 図書館をとりまく変化は実はこれだけではない。三十年前と現在の図書館とでは、通過し蓄積される情報量が決定的に異なってきている。出版される書籍や雑誌の点数に限っても、以前の何倍になっているのか想像もつかないほどの増加ぶりである。私の専攻分野で言えば、例えば『源氏物語』の場合なら、現在、年間数百編を下らない論文数が世に送り出されているが、研究に従事する者はそれらを一々参照しながら自らの論を立てなければならないのである。こうした傾向は何も研究文献に限っての事ではない。情報化時代を迎えて、私たちは氾濫する多すぎる情報の中に、ややもすれば自分を見失って埋没しそうな状況に身を置いている。これら個々の情報をどのように自分なりに整理選択し、渦中にありながらも自らの主体性をいかに確立するかということは、今や現代を生きる私たちに共通する課題とも化しているのである。

 大学図書館の図書予算は、こういう時代の傾向を掬い取るにはあまりにも貧弱で心もとないものではあるが、さいわい、各大学とも電子図書館システムの確立に向けて、目下全力を傾注しているさ中なので、やがて資料のデータベース化が進み、検索方法の進歩や情報ネットワークが確立することによって、各図書館内に現物を常置することはできなくても、必要な情報は、素早くしかも的確に入手することが可能となる日がやって来るにちがいない。その日をめざして、わが横浜国大図書館でも、職員あげて今、急速に電子化の基盤整備を図り、学生や教官の要望に応えるべく努力を傾けつつあるのである。

 現在、大学図書館は未曾有の変革期を迎えようとしている。ちょうど明治時代の中期に「図書館」という呼称がそれまでの「文庫」「書籍館」という名称から転じて生じた時期があったように、今や「紙」に印刷された資料(図書)のみが情報媒体の中核であった時代は過ぎ去り、近時はむしろ、他の媒体による情報も含めて、その内実をもっと幅広く見渡さなければならないとする動向の方が目立つようになっている。だからといって従来からの図書の役割が減ずるはずもなく、その重要性に変化があろうとも思えないが、「図書館」の名称が「情報館」「情報センター」という名称に取って代わられる日もそれほど遠いことではないのかも知れない。

 しかしながら、その名称がどう変わろうと、大学図書館に収集されたさまざまな情報自体が今後とも大学における研究活動の基礎をなし、中心であり続けることは疑いのないところである。先にも述べたように、これらの情報類を生かすのも殺すのも、それは大学に学ぶ者一人一人の主体性に委ねられていると言ってもよいだろう。いかなる情報も、事実そのものに代替できるわけではないのだから、現代ほど各自の想像力(イマジネーション)や分析の力によって、事実を正しく見抜く眼力が要請される時代はないと思われる。大学図書館は、そうした要請に応え、種々のお手伝いをさせていただくよう、万全をつくすつもりである。ぜひ各方面から、忌憚のないご意見をお寄せいただき、今まで以上の図書館の活用をお願いしたい。

<附属図書館長・教育人間科学部教授     ひらた よしのぶ>


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