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古典・叢書

SoundCurrency”の収書をめぐって

楠 井 敏 朗

アメリカ経済史において19世紀末〜20世紀初めの時代はどんな時代であったのか。

20世紀も終ろうとする今日,100年前のことをふりかえり整理することにどんな意義があるのだろうかと思っていらっしゃる方も多いかと思う。ここでは,平成5年度「古典・叢書類」の項目で本学図書館に収書された“Sound Currency:1895一1906”を紹介しながら,100年前のアメリカの社会と経済の動きをふりかえり,本資科の資料的価値を見ておくことにしたい。

“Sound Currency:1895一1906”とは,ニューョークに本拠をおいた経済制度改革クラブの「健全通貨委員会」が,月に2度当たり発行した機関誌である。今日では古書専門の本屋さんに頼んでも直ぐには収書することの困難な貴重な資料である。なぜ貴重なのかといえば,同誌がすでに多く散逸してしまっていることを挙げねばならない。だが,それだけではない。19世紀末から20世紀初めに起こったアメリカの金融制度の改革を積極的に提言し,最終的にはアメリカの中央銀行制度である連邦準備制度の成立を導き出す運動を担った多くの著名な人々の意見が収録されているという内容的事柄にかかわるからである。

1890年代のアメリカといえば,チェコの音楽家ドボルザークがニューヨークのナショナル音楽院の院長に招かれ,有名な交響曲第9番「新世界より」や弦楽四重奏曲「アメリカ」を作曲していた頃だと想い起こす人もあるだろう。ニューヨークでは,当時すでに地下鉄が通るようになっていた。摩天楼の建設も終っていた。太乎洋の彼方,日本では,人日本帝国憲法が制定され,教育勅語が発布され,日清戦争(189495年)の起こっていたあの時代である。

この頃アメリカは,1890年,1893年代の両恐慌後の長期不況に沈んでいた。1880年代の好景気の反動だと捉えてもよいが,そればかりではなかった。南北戦争後の急速な経済発展によってアメリカ経済が大きく構造変化し,そのことによってもたらされた「構造不況」の性格を色濃くもっていたからである。

全国的に敷設された鉄道は,すでに少数の大鉄道会社の寡占的支配下におかれていた。これら鉄道に対して建設資材を提供していたのは,カーネギー製鋼社に代表された少数の巨大鉄鋼メーカーであった。またこれら鉄道によって運送されていた貨物は,アメリカ最初のトラスト企業スタンダード・オイル社等の石油であり,アーマー社,スウィフト社のような巨大な食肉会社の製品であった。輸出向け,国内需要向けにニューヨーク等海港都市に集貨されていた穀物も忘れることが出来ない。

1890年代の長期不況は,これらの産業に大打撃を与えた。鉄道会社の倒産と再組織,鉄鋼会社の集中合併などが進み,製造業における企業集中が,「独占禁止法」(1890年)の制定にもかかわらず,「合理化」を達成し,不況を克服する経宮戦略として認知され始めていた一方,農民は共杣,民主両党の政策に飽き足らず,独自に第3政党(人民党)を結成して,自分たちの利益を追求され始めていたのである。アメリカはこの時期,社会的にも,経済的にも,政治的にも,大きく転換し始めていた。

機関誌“Sound Currency”に結集した改革派の運動は,実はこうした大不況のなかで生まれたものであった。改革者のなかには,チャールズ・A‐コナント,L‐キャロルルート、ウェスリー・C‐ミッッェル,ホレイス・ホワイト,Hパーカー・ウイリス,J‐ローレンス・ラフリン,ジェイムズ・B‐フォーガン,リーマン・J‐ケイジ,C‐N‐ファウラーなどが顔を揃えていた。かれらは,南北戦争=再建期(1861-77年)に制度化されたアメリカの金融制度(国法銀行制度と呼ばれた)が,中央銀行制度を欠如していたこと,そして,他の先進国ではいずれの国でも備えていたこの中央銀行制度(日本銀行の設立は1882年)の機能を財務省が代行していたこと,したがって,アメリカでは,通貨の発行が国法銀行と財務省の二元的構造をとっていたこと,しかも,これらの通貨の供給が,いずれも経済事情の変動にともなって弾力的に変動しうる制度的条件を備えていなかったことなどを指摘し,こうした通貨事情こそが1890年代の不況を作り出した最大の原因であったと立論して,巨大法人企業が成立するようになったアメリカの現状に合わせて,金融制度そのものを改革するように求めたのである。

その提言は,たんなる空論ではなかった。各国の金融制度との比較を踏まえた提言で,具体性に富んでいた。 そして、かれらの改革法案は一つ一つ実現され、かの連邦準備制度の成立(1913年)を導き出していったのである。

ここで“Sound Currency”の資料的価値についていえば,同時代のすぐれた改革提案と位置づけられている,1897年の「インディアナポリス貨幣会議報告書」,1910-ll年全国貨幣委員会の手になる連邦議会に対する彪大な「報告書」(これらの資料は,いずれも本学図書館に所蔵されている)に基礎をおいた貴重な資料だと評価できるものである。

20世紀末の今日,アメリカは,レーガン斯以来進展した金融制度の改革の影響に直面している。100年前かれらの企てた改革が,いま「金融の自由化」の名のもとで完全に変革を迫られているのである。アメリカの経済と社会と政治が,この100年問に大きく変わったことを示す史実といえよう。

第2次大戦後進展したアメリカ巨大法人企業の経宮戦略の変更,多国籍企業化の動きが,100年前にかの改革者たちの望んだ経宮戦略とは隔世の感のある政策を要するに至ったこととかかわっている。“Sound Currency”に盛り込まれた政策提言と今日の政策提言の違いを読み較べてみたら面白いだろう。

ドボルザークの「新世界交響曲」は,今日でも,われわれに不滅の「音の世界」を伝えている。“Sound Currency”の提言が,「不滅」の政策提言ではなかったなどという評価は,もう暫く時代が経過しないことには判らないだろうと,筆者などは考えているがどうだろうか。

(経宮学部教授 くすい としろう)


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