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学問の倫理観

環境科学研究センター

本多嘉明

3年前に束西ドイツが統合するなど世の中の動きは,想像を絶するほど激しい。最近,旧東側の研究者と会う機会が多い。彼らをとりまく環境はここ数年激しく変化したという。今はどんな目的で研究をすすめてよいか迷うことすらあるそうだ。我々をとりまく環境も激しく変化している。科学計算を実行するコンビュータが例にあげられる。20年前であれば最小二乗法の計算は大変なことであったが,今ではボケットコンピュータですら簡単に計算できる。

computer(コンピュータ)という言葉は,compute(コンピュート)「計算する」という言葉とer「者,人」を意味する古典から成り立っている。19世紀末から今世紀初頭までcomputerとは「計算する人,蕎十算士」を表す言葉であった。そもそも計算十(compLltor)とは手回し計算機を朝から晩まで回し続ける職業を意味していた。今日のコンピュータと原理的には無関係であっても,情報を処理するという役割は同じである。

最初の計算機は歯車を利用した機械的なものであり1600年代にパスカルによって作成された。第2次世界大戦の頃にはリレー(電話の交換器などに使われている部品)と機械部品からつくられるものへと進化した。この系統の計算機は1943年にはハーバード大学のエイケンが中心になって作成したMark. J.という計算機へ発展した。この計算機は長さ15.5m,高さ2‐5m,使用部品数約75万個に及ぶ巨大なものであった。

これとは別に電子計算機の発展は1946年に完成したENIAC(電子式数値積分機兼計算機,Electronic Numcrical Integrator and Computer)に端を発している。このENIACは1万8000個の真空菅を用いて200桁の計算を1秒問に5000回の速度で実行でき,それまでの機械式計算機が毎秒3回とでは格段の差があった。以後,計算機すなわちコンピュータといえば,電子式のものが上流となり現在の繁栄につながっている。

1943年のMark J.は1秒問に3回程度であったのに対し,その3年後のENIACは1秒間に5000回と飛躍的に進歩した。10年前,数億円した汎用大型計算機は1秒間に1700万回,5年前のワークステーションは1200万円であったのに1秒間に1700万回,最近は500万円のワークステーションで何と1秒問に1億回の計算が実行できる。この50年間に実に3000万倍以上に性能が向上したことになる。このような急激な発展はコンピュータに限らず今後も起きるものと考えられる。

私が参加しているNASAやNASDAの21世紀に活躍する地球観測衛星のデザインでは,打ち上げまでに発展するであろう技術とどのような地球環境間題が発生しているかを念頭におく必要がある。地球観測衛星開発の基本は「地球の役に立つ」ということである。気を付けないとこの基本が忘れられ,新しい機能を持った衛星を開発するということに主眼が置かれる。これでは本当の役に立つ衛星が開発されない恐れがある。技術開発という目先に捕らわれすぎるためである。常に基本「地球の役に立つ」ということを忘れないように努力しなければならない。

学業,研究,職業においてもこれと同じことがあるような気がする。何のために学業,研究に打ち込むのか明確な答を出すことができるかが問題である。職業には「生活を守るため」,「社会のため」という答が返ってきそうである。研究では,基礎研究,応用研究に関わらず「世のため,人のため」という動機が根底にあるべきであると考える。研究主体が気づかない内に倫理観が伴わなければ,単なる興味本意や研究のための研究はきわめて危険なものとなり得る。科学技術が今日のように急激に進むとなおのこと,科学技術のみが一人歩きし危険を生む恐れがある。

科学発展の未来を明るいものにするには,科学技術発展に従事する者,一人一人がそれぞれの「倫理観」をしっかり確立し,常にそれぞれの行動が倫理的にどのような意味があるのかを問いただしながら進めることが重要である。今日のように高度に発展し多様化した社会においては,研究を進めることよりも自己の研究の倫理的な意味が何であるかを的確に把握することの方が難しいように思われる。学業の一貫として行われる卒業研究においても,研究を進めることもさることながら学生が自己の研究の意味を的確に把握することの方がはるかに難しいことのように思われる。

私自身,自己の倫理観をより確かなものとし研究活動をより実りあるものにしたい。

<はんだ よしあき 環境科学研究センター 講師>


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