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「政冶国家」と「経済国家」

――フランス労働総同盟機関誌『人民の声』に寄せて――

権 上 康 男

第1次世界大戦から第2次世界大戦にかけて,ヨーロッパ諸国は大戦による膨大な人命と生産施設の損傷,世界恐慌,ファシズムの脅威と,相次ぐ危機に見舞われた。直面する危機が深刻であればあるほど,時に人々の感性は冴え,洞察は深まり,構想は自由と大胆さを増す。当時,ヨーロッパ,とくに大陸ヨーロッパで,国家の改革という壮大なテーマに関して提案が相次ぎ,熱い論争が闘わされたのも,それほど不思議なことではない。

ところで,身近に類似した歴史的経験をもたないわれわれにとっては興味深いことであるが,この提案と論争を主として担ったのは労働組合組織である。フランス最大の全国労働組合連合組織,労働総同盟(CGT)はその代表的な存在であった。本学の附属図書館が平成2年度に購入した『人民の声』(バックナンバー,マイクロフィルム)はこのCGTの月刊の機関誌である。同誌の大戦間の号は,フランスの現代国家形成に多大の影響を与えた,労働運動の側のこの問題にたいする取組みをよく伝えている。同じころ新しい時代の国家――あとで述べる「経済国家」の一種――として登場したファシスト国家が早々に歴史の舞台から消え,中央指令型社会主義国家もすでに歴史的役割を終えたかに見える今日,『人民の声』に現れた社民型の国家構想を回顧してみるのも無駄ではなかろう。

CGTの1919年のリヨン大会は,この組織が従来の直接行動主義から経済改革重視へと大きく路線を転じる画期になった大会として知られている。大会で採択された決議と大会の前後に『人民の声』で繰り広げられたプロパガンダは,この路線転換が新しい現実認識と国家構想にもとづくものであることを教えている。前提となる認識とはおおよそ次のようなものであった。(1)アメリカを起点に生じている生産の近代化が高い生産性を実現し,高賃金と労働時間の短縮を可能にしている。この結果,生産が国民生活にとって前世紀とは比べ物にならない程の重要性を帯びるようになった。(2)株式会社制度が普及し,職能が組織化されて雇主組合や労働組合などの団体形成が進み,カルテルや団体協約が広がっている。市場は組織化され,自由競争は過去のものになっている。この結果,消費者の利益,ひいては「一般的利益」の保障という新しい課題が生まれてきている。(3)保護関税の一般化・社会立法の増大などを通じて,国家の経済的役割が増大している。これにたいして,普通選挙制度にもとづいた旧来の国家は政治間題の処理には適しているが,経済問題を処理する能力も資格も欠いている。また他方で,職能団体という新しい経済権力が国家機構の外で成長をつづけている。19世紀の国家(政治国家)は完全に時代遅れになっている。

こうした認識のうえに,CGTの指導者たちは「生産者が社会の責任をもつ」時代が到来したと見る。プルードンはかつて,作業場(アトリエ)が政府に取って代わる,すなわち経済が国家を吸収することによって成立する,分権的な国家――「生産者国家」ないし「経済国家」――について語ったが,そのような時代が到来したというのである。ただし彼らによれば,従来の政治国家に代わるべき国家は単なる労働者の集合体としての作業場であってはならず,労働者が技師や消費者との協力関係の中で形づくる「社会作業場」(アトリエ・ソシアル)でなければならない。そうした国家を実現する手段として,彼らは国民経済評議会の創設を提案する。これは経済全体の管理と運営に責任をもつ国家機関で,職能団体の代表(労働組合代表,雇主団体代表),技師,国家代表から構成される。

この国家構想の新しさは,資本家と賃金労働者の廃絶を標傍する労働者組織の代表が国家に参加し,この代表が国家機構の中で他の社会集団の代表と協力し合うことにあった。それだけに,旧路線に馴染んでいたCGT活動家の一部にとっては容認しがたいことだったらしい。1920年の大会ではこの点に批判が集中している。これにたいするCGT指導者たちの説明はこうである。近代の生産技術を操作するには技師の関与が不可欠である。労働者が生産を独占的に管理するなら,フランス革命以前のギルド制度のもとにおけると同様,製品価格の引上げを許し,消費者としての労働者自信の利益を損なうことになる。労働者が権力を握ったところで官僚制の性格が変わるものではない――たとえば,「政治変革があったとしても,国家〔官僚機構〕は自分の都合のためにしか技師に助力を請おうとはしないだろう」……。ここに示されている知的労働の重視,官僚制にたいする不信,消費の視点――これらはいずれも,折りしも同じヨーロッパの一角で建設の緒についたソヴェト社会主義が欠落させることになっていたものである。

さて,国民経済評議会は1925年にEd.エリオの左翼連合政府のもとで,CGTの構想から大きく後退して,首相直属の自律的な調査研究・諮問機関として設立された。だが1930年代に入ると,この機関の機能拡大が問題になる。フランスの政府も議会も大恐慌で生じた経済破綻にたいして有効な手立てが講じられず,以前にもまして国家がその限界を露呈したからである。党派の別を問わず国家の改造が叫ばれ,1934年には国会に「国家改革委員会」の名をもつ特別委員会が設置されるまでにいたっている。CGTもこの時期に再度,国民経済評議会のあり方を間題にしている。この評議会の機能を強化しようとすれば,当然その権限の拡大と強化が必要になる。とくに問題になったのは,当時国論を賑わせていた2つの解決策である。すなわち,第1に,評議会への代表選出母体となる職能組合を強制加入の組合(コルポラシオン)に変える。これはしかし,フランス革命が否定した旧コルポラティスム(ギルド制)への回帰であり,白由の否定を意味する。第2に評議会に立法機能をもたせ,「経済議会」(職能議会)に昇格させる。この場合には職能代表制が普通選挙制に取って代わり,「経済が政治を吸収する」ことを意味する。しかしこの方式を採用した隣国のイタリアでは,(政治)議会が停止され,ムッソリーニによる独裁に道が開かれてしまった。

かくてCGT内部における研究と討議の結論はこうであった。現在の諸条件のもとでは,いずれの方法とも前世紀に実現した自由と民主主義の否定を招きかねない。普通選挙にもとづく(政治)議会の優位の原則を維持し,国民経済評議会はあくまでこの議会のコントロールのもとで国民経済の管理・運営,職能間の利害調整を行う機関にとどめるべきである。職能組合も白由なままにとどめるべきである。

第2次大戦後,社会民主主義の強い影響下にある西ヨーロッパの多くの国で,職能代表から構成される経済評議会をもつ国家機構の整備が進んだ。そこでは程度の差はあれ,経済評議会は議会のコントロールのもとにあり,経済にたいして政治が優位に立つ仕組みになっている。これは,上に紹介したような大戦間期の議論の枠組みの中で見るならば,19世紀の政治国家が依然として完全には克服されていないことを,あるいはまた,経済国家の実現が課題とされつつも,普通選挙に代って自由と民主主義を有効に保障する制度が未だ考案されるにいたっていないことを意味しているといえるであろう。

ひるがえって今日のわが日本の国家についてはどう考えたらよいであろうか。この国については「経済は一流,政治は二流」ということがいわれる。ただし,一流といわれる経済は行政と緊密な協力関係にある。また政権政党による長期政権の維持は利益導入型の政治手法に負うところが大きいといわれている。このことだけからいえば,この国はすぐれて経済対応の国家――一種の「経済国家」――という特性を備えているかに見える。政党政治は初発から利益導入型の手法を用いていたというから,こうした特性の起源はかなり古いと見られる。だとすれば,この国では(自由と民主主義という近代の2つの価値に基礎をおく)政治国家が未成熟なままに経済国家が根を下ろしてしまったもののようである。経済国家が利益導入という,非公式の,危うい実態に拠っているのは,そうした歴史的経緯によると見られなくもない。政治改革が叫ばれて久しい。政治スキャンダルが発覚するたびごとに,判で押したように選挙制度や政治資金規制法の改正が議会やジャーナリズムを賑わす。だが,わが国の国家にまつわる諸問題が果たしてそれで解決するのか。そもそもそうした制度改革すらいっこうに進まないのはなぜなのか。両大戦間期の『人民の声』誌上の議論は,年月の隔りを超えて,そうしたこの国の現実への関心をも掻き立ててくれる。

(経済学部教授)


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