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「図書館讃歌」

鳥居 薫

先日,テレビで「革命に消えた絵画」という番組を見た。ロシア国民主義音楽の大作曲家ムソルクスキーのピアノ組曲「展覧会の絵」,この組曲は十曲で構成され,親友の画家ハルトマンの遺作展が開かれたのを機に,追悼の意を込めて作曲されたもので,会場に展示された十枚の絵をそれぞれモチーフにしていると言われている。ところが,そのうちの五枚は存在が知られているものの,残り五枚はロシア革命の混乱に紛れて行方不明となってしまった。番組では,革命前を生きたこの二人のロシアの芸術家に焦点をあて,作曲家の団伊玖磨さんが行方不明となった五枚の絵の行方を追うというものであった。

ムソルクスキーは私が生まれるちょうど百年前に,ロシアの裕福な貴族の一人息子として生まれたが,彼が22歳の時の農奴解放令によって大地主から貧しい下級役人へと落ちぶれてしまい,26歳の時の母の急死と相俟って,酒に溺れる毎日になった。30歳の時に作曲された社会的革新的な「ボリス・ゴドノフ」は保守的な当時の批評家に酷評され,彼は失意の酒にますます溺れていった。そのような時にあって,「西欧の伝統から離れ,真にロシア的,民族的な作品を創造しよう」と彼が互いに意気投合したのがヴィクトル・ハルトマン(1842-73)であった。ところが,この掛け替えの無い親友も31歳の若さで心臓病で急死してしまう。彼の早世を惜しんだ展覧会が,芸術史家ウラディーミル・スターソフによってペテルスブルグの美術学校で開かれ,ムソルクスキーはそこに出品された絵に霊感を受けて,たった数週間で作曲し,スターソフに献呈したのが「展覧会の絵」である。しかしながら,西欧音楽の伝統に反抗し,古いロシア的なメロディとそれに基づく革新的な和声の,このすばらしい作品もムソルクスキーの生前には一度も演奏されることは無かった。

番組は,ムソルクスキーが選んだ十枚の絵をスターソフが著わしたカタログを足掛りとして探し出そうというものであった。私は今まで漠然とシャガールの絵のようなものを思い浮かべながら「展覧会の絵」を聴いていたが,それらの絵は意外なことに素描画やデッサンや本の挿絵であった。通説では,十曲の内,その幾つかは実際の絵とは関連が無く,彼自身の創作であるとも言われて来た。中でも,第二曲「古城」(その前でトルバドゥールが歌を唄う古城),第四曲「ビドロ」(ポーランドの牛車),第七曲「リモージュの市場」(喧曄する女たち)に対応する絵はハルトマンには無いと言われていた。

ハルトマンは実は画家というよりも建築家であり,彼が学んだ美術学校の建築科の図書室に行ってみると,そこには卒業生の作品が整理棚に年度ごとにきちんと整理されていた。女性司書が四人分ごとに収められているファイルを開き,絵と絵の間に挟まれている薄紙をそお一っと剥すと,130年以上も前の彼の作品が目の前に現われて来たときには痛く感動した。もしも,これがレーザ・ディスクか何かに保存されていて,ディスプレイに写し出されたとしたら,これほどの感銘を受けはしないであろう。感動するのは,ケント紙の重さと感触を掌に受け,下書きの消し跡を見つけ,古い紙の匂いを通して,彼が描いていた時の心を追体験することができるからなのであろう。

国大の建築科ではどうなっているのだろうかと,ふと心配になり,問い合わせたところ,「全ての卒業製作作品は学科の図書室に大切に保管され,通常の閲覧は別に撮ったマイクロフィルムで行なっている」とのこと,さすがである。

図書館の機能としては近年,ともすれば情報センターとしての機能のみが脚光を浴びがちであるが,文化の継承ないし文化の源泉としての,このような昔からの機能も大切にされるべきであろう。勿論,前者の機能の充実を図るべきなのは当然で,平凡社の「新・世界大百科事典」全三十一巻は重量約50kg,専門書架に収めると,高さ1.6m,幅44cm,奥行き30cmにもなるが,これをCD−ROM化すれば,地図帳などを除いた本巻三十巻九万項目と索引一巻四十九万項目,字数にすると七千万字を直径12cm,厚さ1.2mm,重さ15gのCD一枚に収めることができる。学術雑誌や資料のCD化が更に進めば,LANを通じて二十四時間,好きな所から図書館にアクセスできるようになるであろう。そうなれば,現在,図書館運営委員会で頭を痛めている,書庫スペース不足の問題や週休二日制に伴う土曜開館の問題は一挙に解決されるであろう。しかしながら,もう一つの重要な機能である文化の源泉としての機能を忘れてはならない。端末から,本を検索したり,あるいは一歩進んで,中を開いて見たりできることよりも,書棚の前に我々が近づけることの方がはるかに重要なのである。何故なら,そこでは我々はお目当ての一冊の本を手にするだけではなく,あちらこちらに目を移し,表題とか装丁とか厚さとかを総合的に判断して何冊かの別の本も手にする。このような操作は端末からでは不可能である。このことは,我々が一冊の本を読む際にも当てはまることであり,我々は必ずしも最初から順序良く読むのではなく,前を読んだり後ろを読んだり,斜めに読んだり挿絵を眺めたり,それらに刺激されて己の思索に耽ったり,と,本全体を総合的に活用しているように思われる。この原稿も実はワープロで作成しているのだが,ディスプレイ上ではなかなか見つけられなかったミスタイプが,紙にプリントアウトするとすぐに見つかるというようなことはしばしば経験することである。これも,我々が紙に印刷された一ページの文章を読む場合には,一人一人の顔を即座に識別できるというコンピュータにはできない能力,即ち,全体的に,かつ,微妙な相違を認識する能力が発揮されているためではなかろうか。また,我々は読書を通じて,思索し,新たな考えを創造することが多い。以上のようなことを考えると,図書館の情報の電子化に当たっても,本や資料の保存,それらの閲覧と思索の場を提供するという図書館の昔からの大切な役目をおろそかにすべきではないと思う。

第四曲「ビドロ」の絵の捜索は圧巻であった。チャイコフスキーコンクールで,「展覧会の絵」を自由曲に選んで優勝した旧ソ連のピアニストに意見を求めたところ,「どうしても私には「牛に引かれたポーランドの牛車」のイメージは湧いて来ない。むしろ,ショパンの葬送行進曲のテーマが底に流れている。」との指摘を受け,本の挿絵の中から遂に「ビドロ」の絵を発見した。その絵には牛などは一頭も描かれてはおらず,一人の市民が街角で警官とおぼしき者たちによって首を吊られ,将に息絶えた瞬間の光景が描かれていた。実は,「ビドロ」とは「牛車を引く牛のように,為政者から虐げられても黙々と従う,おろかな民衆」という意味に現在でも使われている言葉なのであった。

ロシアの伝説の妖怪,地底を守る小人姿の「グノーム」がいたずらっぽく垣根の隙間から覗いている絵の第一曲に始まって,フランス革命によって解放されて生き生きと生活しているフランスの民衆を羨望の眼差しで描いた第七曲「リモージュの市場」。この絵は一枚の絵ではなく,ハルトマンがフランスを旅行した際に,有り合わせの紙切れ数枚にスケッチして手紙に同封したもので,その一枚には取っ組み合いの喧嘩をしている二人の女が生き生きと描かれている。ハルトマンがデッサンした,いかにもロシア的な置時計,魔女バーバ・ヤガーのすみか「鶏の足の上に建っている小屋」第九曲を経て,ロシア正教のコラールが高らかに鳴り響く終曲は,古都キエフに建造されることを願ってハルトマンが描いた大門の設計図である。

ムソルクスキーは,モスクワの宮殿に見られるような尖塔を有する,この,きらびやかな「キエフの大門」の向こうに,民族的な芸術を共に目指した親友ハルトマンがいる天国を,そして,ムソルクスキー自身の希望と理想を見ていたに違いない。

百年以上も前の文化をこのように生き生きと伝え,見る者に感動を与える番組を作ることができたのには,図書館が大きく貢献していたのであり,この第十曲が私には,図書館の使命への高らかな讃歌とも聞こえたのであった。

(工学部生産工学科教授)


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