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図書の蒐集と活用

三 邊 夏 雄

1. 私の研究室では六法全書・判例索引・各種の事辞書類・文献目録の他,田中英夫他「外国法の調べ方」(東大出版会,1974)とともに,板寺一太郎「法学文献調べ方」(東大出版会,1978)が座右――正確には座左だが――にある。板寺氏の著書は「文献探索に関して単に書誌名の列挙や紹介にとどまらず,個々の文献のひき方(括弧内省略)や海外から文献の複写をとりよせる方法(括弧内省略)等を詳細に記述」(同書P.2)された貴重な書だが,海外文献複写方法について省略した括弧内に記述された例がすごい。すなわち,「(文章の実例,研究機関の所在地の探し方,米国議会図書館に発注する場合の注意事項,単行本の複写を依頼する場合に,事前にその書評を発見して,その図書の価値を調査する方法,東欧,北欧,南欧の文献を英米,独,仏の図書館の蔵書目録を利用してそこからとりよせる方法)」(傍線・筆者)が例示してあるのである。幸か不幸か,私はこれら全ての技術を駆使して外国文献を取り寄せたことはないが.事前に未見の書物の真価が分かればしごく便利であろう。加藤秀俊氏の「取材学」(中公文庫,1975)によれば,文化人類学の分野ではかなり以前から“Human Relations Area File”というデータファイルシステムが発達しており,そこでは資料の検索とともに,その資料の価値を5段階で評価してくれるらしい(同書P. 70以下)。加藤氏は「学者の業績をこんなふうに五尺度で『優』から『可』まで評価してしまうというのは,ずいぶん思い切ったやりかただが,おびただしい情報量なのであるから,そのぐらいバッサリと評価してくれてあるのは使用者にとってはたいへんありがたいことといわねばならぬ」(P.74)とされているが,あるいはそうかもしれない。

それはともかく,加藤氏がそれ以前に出された「整理学」(中公文庫,1963)や梅棹忠夫氏の「知的生産の技術」(岩波新書,1969)を読むことは楽しみであったし,これらによって私は資料蒐集や資料検索・整理についてかなり体系的な知識を得ることができたように思う(ただし,それ以後,知的なんとかいった類の本は読まないことにしている)。結局は分類学であり.そして私は子供のころ毘虫採集が好きだったから馴染み易かったのであろう。現在では分類学的研究方法論を排斥することにしているが,最初に述べたことからも分かるとおり私の書架はかなり整然と分類整理されているといってよい。読みたい資料が見当たらないため,その捜索をしているうちに当初の目的とは全く無関係なもっと面白い資料がみつかり,研究意欲が失せてしまうことへの白衛策であろう。「読まなくともよい本を読むことほど楽しいことはない」というのは故小泉信三博士の名言であり,かつ真理でもあるが,とりわけ私には手元に資料がないと途端にやる気をなくしてしまうという悪癖があるのである。いずれにせよ,資料へのアクセスの容易さは研究生活の第一歩であろう。

2. ところで,以上に紹介した資料の評価の可能性は,加藤氏も指摘されるように,なによりもまず「おびただしい情報量」のあること、つまり資料の豊富さが前提となることはいうまでもない。この場合,無論良質の情報が揃っていることが望ましいには違いないけれども,この段階では質よりも量のほうが重要かもしれない。量の大きさが質を変化させることは物理学の教えるところである。しかし,量の大きさは一つのまとまりがあってこそ質を変化させるものであろう。たとえば加藤氏は“Human Relations Area File”の検索によって必要な資料のコピー合計200枚を直ちにファイル管理者から借りだしており,それ故にこのファイルシステムを貴重なものとして紹介されたのであろう。前述の板寺氏は資料が手元にない場合を想定しその入手方法を手引きされるのだが,検索と入手が即時的に行われることが望ましいことはいうまでもない。加藤氏は膨大な資料を直ちに手にいれ.その評価についても充分な情報を得られたわけだが,評価はともかく資料入手の簡便さは誠に羨やましいかぎりである。私の所属する国際経済法学研究科においても毎年新入生には資料検索方法についてのオリェンテーションを行っているが,とりわけ本学では法律学の資料があちこちに分散しているため,まず資料の場所的捜索方法を教えなければならないのが現状である。この度の社会科学系研究図書館の再編によって法律雑誌類と判例集等が一か所に収蔵され,資料の場所的捜索範囲が狭まることになったのは誠に有り難いことだが,しかし今後もこの種のオリエンテーションは続けなければならないであろう。

3. 先に紹介した板寺氏の著書からの孫引き(P.1)になるが,玉川大学の土山牧民氏によれば,アメリカの博士資格試験の最終日の間題には「図書館をフルに活用して,以下の問題の中から一つを選び,その間題を解明するための資料となる文献のリストを作成せよ」というものがあるそうである。また土山氏が学んだ大学では,毎年新しく入学してくる学生達に図書館員は実に親切に図書館利用の手ほどきをしてみせてくれ,与えられたレポートの課題に基づき辞典の開き方はおろか,論文インデックス,書評インデックス,参考文献インデックスはもとより,ユニオンカタログに至る研究の資料の求め方を指導するという。そして,土山氏は「図書館を価値論的に見るならば,『蒐集』はあくまでも手段であり,『活用』こそ絶対価値となると思う」といわれるが.全くそのとおりであろう。この点につき土山氏は日本の図書館のあり方を単なる文献の蒐集のみに終わっていると痛烈に批判されるのだが,板寺氏はさらに研究者にあっても図書館の活用について鈍感である旨を指摘されている。板寺氏はライブラリアンとしての謙虚さから「これらの事態のおきた責任の相当の部分は…わが国の図書館人にもあるといえよう」(P.2)とされるが,「わが国の研究者がはたして,自国の法律図書館人のおかれている位置や境遇をよく理解されているか否かについて筆者は大いに疑間をもっている」(P.3)ともいわれている。後者の引用はわが国の大学図書館予算のいわばソフト面での予算の少なさの現状を指摘されたものだが,しかし学生はともかく研究者という職業的利用者までもが図書館の「活用」に鈍感ならば,つまり蒐集と活用との緊張間係がなければ,ソフト面での予算が増える筈はない。むしろ事態の責任の柑当部分は研究者側にあるといってよいのである。

4. いま,手元に明治学院大学図書運用係による「判例・判例評釈・法令の調べ方」という小冊子がある。これは明治学院大学の図書館における判例等の検索の方法を具体的なコードとともに懇切丁寧に説明したものである。例えば判例検索については.判例集の色々,雑誌の必要性.判例索引の利用等の解説にはじまり,進んで具体的に(1)判決日から調べる方法,(2)法条文から調べる方法,(3)事件名で引く場合,(4)つい最近出た判例を探す場合等に分け,それぞれについて親切に解説し,さらにケーススタディーとしての設問まで用意されているのである。作成にはおそらくライブラリアンと法学部との共同作業があったのであろう。これによって学生はどんなに判例等の検索が容易になり,かつ親しみ易くなるだろう。私はこれを最初に見た時,真先に土山氏の彼の国での大学図書館のサービスのあり方を思い出したのである。ところで,この小冊子の最初のページ数は53である。ということは,少なくともその前に1〜52頁がある筈であり,この点を問い合わせたところ,これは明治学院大学では以前作成していた図書館の利用方法冊子の一部であるとのことであった。つまり、更新の予算等が彼の大学でもとれなくなり、比較的更新の必要の少ないこの部分が残ったということらしい。しかし,このような活用を重視した図書館の運営を企てたことは,とりわけわが国では大いに称賛されるべきことといってよい。

さて本学は?

(さんべ なつお 国際経済法学研究科助教授)


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